心は友か敵か?
ヨガ哲学での「心」というものの扱い方について、私なりの解釈を書きます。
ヨガの聖書、バガヴァットギーターにこのようなことが書かれています。
「人は自分の心で自分を向上させ
決して下落させてはいけない
心は自分にとっての友であり
また同時に仇敵でもあるのだ
心を克服した人にとって
心は最良の友である
心を克服できない人にとっては
心こそ最大の敵である」
心を克服するというのはなかなかと難しい表現ですが、
要は、「本質の自分(変わらない性質)」が「心(変わる性質)」を
コントロール下に置けている
ということです。
不安や罪悪感を考えだす心に「本質の自分」が乗っ取られていない状態です。
前にも伝えましたが、私というものの中には二つの性質があります。
変わらないもの=本質の自分、魂。
変わるもの=心、思考、肉体、職業、地位・・・。
変わらないものである「本質の自分」は何の欠けもなくそのままでOKな存在。
この本質の自分が、変わる性質である「心」をうまく操縦できていれば、
心は最良の友となります。
心を克服(本質の自分でうまくコントロール)できないとなぜ仇敵となるのか?
それは、
心は放っておくと
不安や不足感に基づいて、
「もっと欲しい、私は足ていない、他人から認めてほしい」という欲求で
膨れ上がります。
この膨れ上がった欲求は「執着」です。
膨れ上がった執着で「本質の自分」が隠されて束縛されてしまうと、
自分の欲求にのみ従って、生きるようになるのです。
これはエゴの自分で生きている状態です。
そうなると、ますます「あれが足りない、これが欲しい」という悪循環が続きます。
上手く心をコントロールできていれば
例え「あれが欲しい、これが足りない」と心が動き出しても
「また心の性質が動き出した」
と気づけます。
本質の自分は、何を手に入れなくてもそのままで幸せなのです。
そこに気づけたら、結果に執着せずに
ただ自分の目の前のやることを淡々と行っていくことで本質の自分に落ち着き
ただ、幸せを感じながら生きれます。
じゃあ、物欲や他人から承認されたい気持ちは持ってはいけないのか?
ということですが、
これはバランスの問題です。
ある程度は必要な欲というものもありますし、それがないと張り合いがないかもしれません。
余りに偏りすぎず、エゴが大きくなりすぎたら気づける自分を育てるということです。
完璧を求める必要はないので(もう完璧なら何も学ぶ必要なないですね・・・)
こういったことを頭にいれておけば
自分のエゴ、執着に振り回されないようになります。
心が最良の友になっていきます。
【お知らせ】
3月24日(土)のレッスンは時間変更で13時30分~となります。
まだ席に余裕がありますので、ご都合よろしい方はご予約をお待ちしておりますね!
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